胡蝶の夢ブログ

周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。

20年間の片思い

今から約20年前の2001年に私(胡蝶の夢)は天上碑と言うネトゲーで自分より5歳年下の、当時中学生の男の子(友幸)に恋をした。

その子は特別大人びていてと か、人の気持ちを良く理解できてとか、そんな誰もがステキだと思うような設定されたキャラクター見たいな所は一つもなかった。
何なら軽度の反抗期+軽度の中二病真っ只中だった。
さて問題です。
軽度の反抗期と軽度の中二病、どちらも軽度だけどそれが混ざりあったらどんな子になるでしょうか?
正解(かは定かでないが):小憎たらしい子になります。

当時の彼は気分次第で一緒に遊んでる途中でもイキナリ「落ちる」と言ってログアウトして消えてしまったり、気づいたらログインして戻って来て「狩りに行く(だからお前も来い)」と私を呼びつけたり、私のPCが不調で安定して遊べない時は怒って私に「死ねえええええええええ」とか暴言も吐いたりするような本当に自分中心の小憎たらしい子だった。

天上碑は狩りを楽しんだり、皆で協力してダンジョン制覇やボス討伐をしたりする様なゲームと言うよりも、コツコツ放置をして地味にステータスを上げる様なゲームなので、皆が主に楽しむのはもっぱらチャットだった。
私も彼とは一日に何時間もチャットをしたりするのが当たり前だったし、自己中のクソガキだった彼だけどチャットで話してると何だか彼の、本当はとても寂しがりで、だからって寂しさに任せて周りに流されたくも無いので自分を保とうとしてるのに、その為に誰かを傷つけてしまわないかと勇気が少しだけ足りなくて不器用になってしまってる自分にヤキモキしている。
そんな彼の凄くデリケートな心を見た気がして、私はその時彼の事を可愛いなとか不器用だなとか、そんな事を思うよりも先にイキナリ彼に恋をした。

細かい事はもしかしたらその内また書くかもしれないけど、今は色々省くよ。
彼への気持ちが日に日に増して、それから2年近く彼と一緒に同じゲームでずっと遊んでた。
当時中学生だった彼は自分の周りの友達と一緒にゲームをしていたので、いつからか私も当たり前のように彼の友達と一緒に居るようになってた。
だけど私は東京で生活してて、彼らは皆北海道の片田舎で暮らしていた。
そしてお互いに学生で、私はバイトをして居たので自由に使える金額に違いはあっても生活で消えて行くお金なので、お互いに北海道へ行くとか東京へ行くとか、そういった簡単に会ったりすると言う事が金銭面の壁によってできなかった。

彼が高校に上がる前、私に「高校に入ったら部活やバイトもするから、今まで見たいにあんまり一緒に遊べないと思う。」と言ってきた時は凄く寂しかったけど、彼がどんどん大人に近づいてる気がしてなんだかその内簡単にリアルで会えるようになるんじゃないかと少し期待も有った。

 

それからすこしすると、私も彼も忙しくなりついに二人とも天上碑から離れて、連絡もあまり取らなくなった。
たまに私から連絡をしても彼はいつもの様に短い言葉で返事をくれてたから、彼はいつも通りだったけど、彼から連絡が来ても私が授業中だったり図書館だったりバイトだったりで、何時間も遅れてからの返事になる事もあったし、返事の内容も今思えばきっと少しずつそっけなくなってたんだと思う。

あの頃の自分は色々必死で、だけど一番は私はゲームの中で彼に何度か好きだとか一緒に居たいと言う事を伝えて来たけど、彼にはいつも適当に話を流されてその延長での高校生活になったら忙しくなると言われた。
だからもしかして私の事が煩わしかったんじゃないかと言う謎の恐怖が生まれていて、元々口数の少ない静かな人だから、お喋りな私は嫌われてるのかなと言う不安が爆発した。
そんな私は嫌われてるとしても、せめてそれ以上更に嫌われない様にしようと思って、本当は喋りたい事も聞きたい事も沢山あったけど必死に堪えてた。

いつもは気にならなかった彼の短い返信も、その内私のだらだらメールが面倒臭いけど、何か返信しなきゃって使命感か何かで返信をしてるんじゃないかって 思うようになった。
そう思ってしまうと、短い返信も凄く冷たい返信に見えてしまってどんどん連絡をするのが億劫になってしまってた。

そんな感じでやり取りがどんどん減って、いつの間にかまた2年位経過した時、連絡しようかどうか悩んで彼の友達の兼太に連絡をして彼の近況と言う名目の彼女が出来たりしていないかの探りをしたら「あぁ、友幸なら確か彼女と同棲を始めたよ。」の一言に完全なる失恋をした。
そもそも何故兼太に聞いたかと言うと、昔友幸が兼太とは本当に古い付き合いで何でも兼太と話すし兼太なら自分の事全部分かるから、兼太なら信用できると言われていたのでその兼太に聞いたら人生最大の失恋に見舞われてしまったと言う結果に…。

これまた細かい事は省くけど、私はその時本当に色々悲しくなってしまった。
恋人が出来た事を本人から私に言わなかったのは、私の事やっぱり鬱陶しかったんだろうなとか、或いは何度も自分に好きだと伝えた私にそんな事を言うのは酷だと思って言い出せなかったのかなって思ったら、私が彼に向けて来た気持ちの何もかもが間違ってた様な気持ちになってどん 底まで気持ちが沈んでしまった。

その後も普段通りいつもの生活を送るんだけど、やっぱり彼の事がどうしても忘れられなくて、彼みたいな人が同棲したと言う事はきっと相手の事もちゃんと考えて、果ては結婚も視野に入れてるからだと言うのは容易に分かる事だった。
私は一人で寂しさに耐えてるのが本当に辛くて、彼はどんな人とどんな恋愛をしたのかな、どんなデートに行くのかな、東京にも遊びに来たりするのかな、どこかでバッタリ出くわす事もあるのかなとかそんな事ばかり考えてしまって日本に居る事すらも嫌になってしまった私は学校をやめて海外へ行く事にした。

それから恩師と何度も話したけど、恩師の引き留めも全く頭に入らなくなってしまった私はすぐにパスポートを申請して、その時貯めてたバイト代の30万円を持って、誰かにくどくど引き留められたくも無ければ自分の決断を否定されるのも実行できないのも嫌だったから、事前に恩師以外の誰にも何も話さなかった。
そして来る日実家のテーブルに「海外へ行くので連絡取れなくなるけど、心配しないで。便りが無いのは良い知らせです。」とメモを1枚残して私は外国へ出発した。

あれから色々あって、私は頭に大きな怪我をして 病院で「記憶力障害」と診断される羽目になる。
何かを忘れたり、何かを全く忘れる事が出来なくて常に今しがた起きた出来事の様にハッキリと覚えていたりと言う症状の他に、覚えてる内容だけで辻褄を合わせようとして記憶がごちゃ混ぜになったりするという事が考えられると言われた。

海外へ行った時の事も、どこを見て回ってどこでど んな生活をしたのか大まかに覚えていて、印象の強い事なのに忘れてる事もあるし些細な事なのに凄く鮮明に覚えてる物事 もある。
それはまたいつか書くかもしれないけど、今はまだ触れないでおく。

結果的に2年間ちょっとで16か国を周って、最後はマレーシアで蚊に刺されてマラリアに掛かってしまって、もう死ぬ可能性があるから誰か家族に連絡しなさいと高熱でうなされてる状態で医師に言われた時、頭に浮かんだのは友幸だった。
その時苦しんでた自分は「どうせ死ぬなら最後にせめて一度本人に会ってから死にたい、可能なら一度あの人の手に触れてからが良い。」と考えてた。 

生きる目的なんか無かったのに死ぬ為の目標が出来たからか、その日の深夜に熱がサーっと引いて私は持ち直したけど、熱が引いて退院もしてから直ぐに帰国しようと言う衝動で帰国をした。

帰国をしてからも色々あって直ぐには彼に連絡をする事が出来なくなって、ふと彼に連絡をした時すでに西暦は2021年になってた。 
2021年の9月彼に思い切って連絡をしたら、彼は福井で仕事をしていて年末には北海道に帰るから予定無いのであれば北海道に遊びに来ないかと誘われた。
二つ返事でOKして、またあれこれ悩んで行くのが億劫になって会えなくなったらと言うのが嫌だったので直ぐに彼の年末のスケジュールに合わせて飛行機のチケットを予約した。
そして約束を破るのが嫌いな私はすぐにフライトの時間を彼に伝える事で、彼との約束を確立させて自分の逃げ道を絶った。

2021年12月27日、私は彼に会う為に飛行機に乗って北海道へ。 

 

※飛行機の窓から見た北海道

※荷物待ち

その日空港まで迎えに来てくれるはずだった彼は、朝から私にLINEで高速の除雪が間に合わなくて空港まで4時間以上掛かりそうだから一人で小樽まで来れるかと連絡があったので、私は飛行機を降りて直ぐに彼に会えると言う楽しみが少し薄れてしまったけどなんとか無事に飛行機からJRに乗り換えて小樽に到着。

 

※小樽駅に到着

改札へ向かって歩くと、改札の隅で私からの連絡を確認する彼の姿が目に入った。
20年前に貰った中学生の彼の写真とはかなり見た目も雰囲気も違ってたけど、一目で分かった途端涙が溢れた。
まだ私に気付かない彼を素通りして、改札を出て駅入り口近くの待合室前まで行って必死に涙を拭いて深呼吸をしてから彼の前へ行ってLINEをした。
私:着いたよー
彼:どこにいる?
私:斜め前
そして顔を上げて私を見つけた彼は、寒いでしょと言って私を足早に車まで連れてってくれた。

車を走らせる彼とは他愛もない会話をして、その延長で彼に結婚はいつしたのか、こっちには奥さんと子供も来てるのかと聞いたら彼に「何の話?」と聞き返された。
あぁ、別れたんだ。ちょっとラッキー。とか思いながら彼に17何年前に兼太に同棲の話を聞いたんだよと教えたら、彼はとても軽い口調で、だけどどこか凄く厳かに私に向かって「俺同棲なんか一度もした事無いし、同棲しようって思ったほどの彼女も居なかった。一人付き合った事あるけど、10か月の間に数回しか会わなくて別れた。」と言い放った。

・・・ねぇ、本当に今なんて言ったの?
私は思わず言葉をなくしてしまって、何だかまるで狐に化かされた様な、苦しかった20年間を全部否定された様なそんな気持ちになった。
実際に全部否定された訳ではあるんだけどね。
どの位黙り込んだのか分からないけど、彼から何で自分に直接じゃなく兼太に聞いたのか問われた。
私はきっと私の事が鬱陶しいんだろうなと思って怖くて聞けなかった事や、兼太なら信用できるって言われてたから兼太に聞いたんだと返した。
そしたら彼は、実はあの頃はとっくに兼太と喧嘩をして縁を切って居たから兼太が彼の状況なんか分かる訳無かったと言われた。
更には昔は兼太は本当に信用できる良い友達だったけど、どんどん人が変わってしまって兼太の周りはほとんど兼太と連絡を絶った事もその時初めて知らされた。

色々と入って来る当時の情報、今更取り戻せない苦しかった20年、頭の中が色んな気持ちで混乱して情緒不安定に陥った。

※これは4日目に彼が作ってくれたツナたま。何となく目についたからと言う謎の理由で黒豆で顔を作って持ってこられた時は彼が情緒不安定なのかと疑った。

2021年12月27日から2022年1月2日までの滞在中、本当に色んな事を二人で話した。
二人で片道数時間かけて函館へ旅行に行く車内でも、沢山話をして、観光も何もかも楽しかったけど観光をしに来たのか話をしに来たのか分からない位喋り倒した。
それでも喋り足りない、この20年間どこへ行っても彼の事ばかり考えてた。
どんな人と出会っても彼の事ばかり考えてた。
海外から帰国した後も本当に色々有って、人生に疲れてもう死にたいと思った。
どうせ死ぬなら彼に一目会ってからと思って、今回誘ってくれた彼に感謝しながら彼に会いに来た。
今回彼に会って分かれたら死のうと思ってた。
そんな私に1月1日に日付が変わって、深夜2時前に彼から一言「20年間ずっと胡蝶の夢が好きだった、ずっと諦められなかった。もう離れたくない、どこかに行かれるのはもう耐えられない。結婚しよ。」

死にたかった私に生きてて良いよって言ってくれた見たいで、20年間どうしても忘れる事が出来なくて苦しんでた不治の病がどこ吹く風の如く消えさった様な時間だった。
その時私は返事に困ってしまって、彼と一緒に生きていけたらなと思う反面、私はずっと無月経症で妊娠する事が困難なので私とは持てない子供の居る家庭を他の人となら持てると思ってしまって、結果的にどう断ろうか頭の中で探ってた私の気持ちに追い打ちをかけるように「胡蝶の夢は俺と結婚するの、もう決めたから。」と言われた。

そうして1月2日に一度都内に戻ってから突発的に決まった結婚の為に荷造り等をして私は北海道に引っ越して、新しい生活をする事になった。

結婚してから1年が経過しようと言うのに、私は未だにふと兼太の事を思い出す。
彼の嘘で20年間苦しい思いをして来たので、本当に許せない。
だけど20年前に友幸と会っていたら、お互い未熟だったから今も一緒に二人で居るのか正直分からない。
かと言って兼太がそこまで見通して私に嘘をついた訳ではないし、本当に凄く腹が立つ。
いつまでも思い出すたびに腹が立つのも凄く癪だから、心底そんな人の事をもう忘れたいと思う。
思うように忘れたり思い出したりできないのが人間の不憫な所で、誰にでも忘れてしまいたい人はいると思う。
せめていつか彼の嘘を許せたらなんて崇高な気持ちは私には無いし、忘れたくても忘れる事は多分できない。
それならいっその事、あれもこれも書き出して、彼の一言で苦しかった20年間よりも遥かに幸せな時間がこれから増えて行くのを脳にちゃんと認識させようと思う。